交通・電信の発達と企業・組織の形態変化

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 1850年より以前にはピラミッド型に人を配置し上に行くほど権限が大きくなるようなヒエラルキー構造を持つ組織と言えば、イギリス教会と各国軍隊以外にめぼしい組織など無かった。

 

 もちろんそれによく似た企業組織はあるにはあったが、何か問題が生じると原則的には「経営者が乗り出していって」「陣頭指揮を執り」「経営を正せばよい」といった程度の組織だった。

 

 資本を持つ者が社長であり営業部長であり工場長であるといった「個人の能力で取り仕切れる程度の企業」であった。

 

 営業規模も一般的にはローカルなモノであり、銀行家や貿易商といえども限られた取引相手とのんびりとしたおきまりの取引を行う程度であった。

 

 ところが蒸気船の発達や鉄道の発展、そして電信技術の発明などによって、事態は一変した。

 

 それは蒸気船・鉄道・電信技術という三つの発明によって引き起こされた大変革であった。

 

 すなわち風任せで船を走らせていた帆船が、石炭火力を用いて風などお構いなしにグングン走る蒸気船というものに替わり、海上輸送は非常に安定した輸送手段となった。

 

 それまでの帆船での海運は、運送計画を立てるにも非常に不安定で何時商品が届くかわからず大ざっぱなモノであったが、自力でグイグイ航行できる蒸気船の発明で、海運計画は以前と比べて非常に容易に立てられるようになった。

 

 来月商品が来るか再来月商品が来るかよくわからないというあやふやな海運から、来月のいつ頃船が着くという予定が比較的容易に立てられ、計画的な運送が可能になったのだ。


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 そして鉄道の発展は、人やモノや情報の移動を容易にした。

 

 鉄道の沿線でさえあれば遠くの地域へ行くのも簡単になったし、何か問題が起こっても直接見に行ったりすることが可能になった。

 

 地方の労働者が都会に出てくるのも容易になったし、都会の流行が地方に伝わる速度も飛躍的に向上した。

 

それまでは内陸部と沿岸部の交易は主に河川を通してしか活発化できなかったが、鉄道を敷くことによって河川に沿わない交易も楽に行えるようになった。

 

 もちろんそれまでもイギリスなどでは国中に運河が張り巡らされ、鉄道の代わり(?)のような水運が発達していたが、動力で自力で走る鉄道の登場はスピードの面でも確実性の面でも画期的であった。

 

 さらに電信線さえ敷けば遠距離との即時の情報交換ができるようになった。

 

 情報の伝達速度はとんでもなく速くなり、産地で何が起こっているか消費地で何が起こっているかは電信によって即座にわかるようになった。

 

 電信技術の発達は、遠隔地の情報をただちに入手するために大いに役立ち、これらの技術のお陰で「ヒト・モノ・情報」の移動は桁違いに盛んになった。

 

 このような諸技術の発展によって、企業はそれまでのローカルな、或いは点と点を結ぶだけの企業活動から、全国的な或いは面的な企業活動へとその活動を広げることが可能になった。

 

 必要な資源は徐々にフリーハンドでどこからでも調達できるようになっていったし、大量生産で作った商品は全国市場や海外市場で販売して捌いたりすることが可能になった。

 

 必要な人材は全国から集めることができるようになったし、土地土地に支店や出張所を設けてそこに人材や物資をすぐに送りつけたりすることもそれ以前に比べてはるかに簡単になった。

 

 そういうわけで19世紀の終わり頃にはもう、国際市場制覇などという途方もない目標すら立てうる大企業が登場し、経済はもはや古典的経済学が想定するような小さな企業や組織だけで構成されるような経済ではなくなった。

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