ラットレース(熾烈な競争)
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多くの専門的職業は、それによって得られる便益よりも確実に多い「努力」が投下される。
たとえば弁護士、経営コンサルタント、大学教授、そして受験競争の激しい国での受験生など。
彼らは仲間に遅れないように、競争相手に負けないように、必要以上の時間と金をかけ、必死になって努力する。
必要以上に長時間働き、それに資源を注ぎ込む。
このような状態を「ラットレース」と呼ぶが、このような「過剰な努力」は一体なぜ起こるのだろうか。
その原因は雇用主や仕事の依頼主が、従業員の仕事やコンサルタントの業績がその人間個人の能力の高さに依存すると判断するからであろう。
最初に雇主に「能力が高い」という印象を与えることができれば、将来においても高い業績をあげるだろうという認識を与え、そして高賃金で雇われうる。
だがしかし逆に最初に「能力が低い」という印象を持たれてしまうと、将来の長い期間において高い業績をあげるという期待を勝ち取れず、低賃金で働かなければならないことになる。
そういうわけで人々は自分の「値段」が確定するまで、熾烈な努力を重ねるインセンティブを持つこととなる。
そして高い地位を目指している者はそれだけ長くラットレースを続けるインセンティブを持つし、それほどの願望を持っていない人間は早い段階でレースから引退する。
長い人生を考えると、このラットレースに投入する資源が回収可能であるかどうかはわからない。
たいていの場合は回収不可能で、努力のし過ぎという結果になるかもしれない。
だがその一方で、この投資が完全に無駄な投資であるという判断もできない。
やってみて初めてわかることというのも多いし、宝くじも買わねば当たらない。
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ラット・レースが熾烈になる国と熾烈にならない国
ラット・レースが熾烈になる国と熾烈にならない国の話を、読むのでRで書きましたが、一応要点だけ書きます。
たとえば身分制度や階層が社会に厳然としてあるような国は、ラット・レースが起こりにくい。
これはそういう身分や階層がラット・レースでは覆せないせいだ。
すなわちラット・レースに参加するのは同じ身分や階層の中の子弟に限られるが、そのほかのモノはレースに参加しないから、レースが熾烈にならない。
一方ラット・レースで勝ち上がることによって、身分が上がったりいい暮らしができるような社会では、ラット・レースが熾烈になっていく。
なぜなら身分の高い生まれの者でもレースに負ければいい暮らしができなくなるし、生まれが悪くてもレースに勝てばいい暮らしができる。
だから、このレースにはその社会の大多数が参加することになり、ラットレースが熾烈になりやすいと言うことらしい。
精神科医で受験指導で有名な和田秀樹氏の本には、最近の日本はなんと階層化が進んで下位の者が諦めてしまっているというような話が載っていました。
これは価値観が分散化したからかなのか、日本の階層化が進んでいるからか、その両方なのか。