価格システムと社会主義
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前回は市場における「均衡価格」が、資源の最適配分を行うという話でしたが、これは中央集権的な計画経済に対する市場経済の優位性を説明しているだけ、、、とお考え下さい。
「組織の経済学」では市場取引と非市場取引のどちらが優れているかという事を論じているわけではなく、どういう場合に市場を通した取引が行われ、またどう言うときに非市場取引が選択されているか?ということを考えているだけです。
価格システム
価格システムとは、価格によって資源を配分したり所得を分配したりする仕組みである。
価格システムは資源を効率的な用途に振り向けるだけではない。
価格システムにおいて消費者は、価格を「所与given(与えられたモノ)」として自らの利益(効用・満足)に合致することだけを実行すればよい。
そして企業はその所有者にとって最善であることだけを行えばよい。
各主体が自らの経済行動を最適化するためには、価格情報さえあれば事足りる。
すなわち需給バランスを正確に反映するような妥当な価格さえ設定できれば、それだけで経済全体の総価値を最大化できるのだ。
「企業と消費者が価格を所与のモノと考える限りにおいて」価格システムは経済全体のコーディネーションを行い、各経済主体に対して適切な動機付けを行い、経済全体を効率的に調整する。
しかも価格システムは経済全体を調整するためのコーディネーションに必要な「情報量」をも節約するのである。
これは以前に述べた「中央集権的計画経済におけるコーディネーション」と比較しても明らかである。
■価格と社会主義
1917年のロシア革命以降、経済学者たちは社会主義経済体制が経済を効率的に運営しうるかどうか、様々な議論を行った。
社会主義経済体制において「価格」は一定であるが、しかしその価格をもとに各経済主体が自らの経済行動を決定するというのであれば、市場経済主義と基本的には同じである。
だからもし社会主義経済体制が需給バランスを調整できうる価格を設定できさえすれば、市場経済体制と同じ「価格による経済全体のコーディネーション」は可能なはずなのである。
もし社会主義国の企業の経営者が自由市場経済国の競争的企業(市場支配力を持たない企業)のように、価格を所与のものとして捉えて「価格=限界費用」となるように生産を行えば、社会主義経済体制においても市場システムと同様に効率的な経済になりうる。
もちろんこれは「私的所有の禁止」という根本的な違いを無視した上での話であり、根本的に私有資産を持たない社会主義的企業では「資本(生産のための土地や建物・機械など)を所有することによる利益(資本のレンタル料)」が受け取れない。
すなわちこれではどの企業も常に利潤がゼロになってしまうわけであるが、しかしこと効率性に関して言えばそう言うことが言えるはずである。
ところが現実はそう甘くなかった。
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基礎的な食糧は「政治財」
毎年毎年同じだけ農産物が取れるわけではない。
毎年毎年同じ数・同じ年齢構成の人口が存在するわけでもない。
だから現実には毎日のように効率的な「新価格」を設定しなければ、経済全体のコーディネーションなどできはしなかった。
つまり一旦効率的な配分を実現できる価格を設定したとしても、それは一瞬経済を効率化するだけで、次の瞬間からはもう経済を固定化して非効率な配分を作ってしまうのであった。
そして現実の資源配分を効率的・或いは最適に配分するための価格決定は非常に「政治的な」決定であり、価格変更によって損をしかねない勢力による抵抗は激しいモノであった。
だから、社会主義国の経済は結局非常に固定的な、非効率な経済になってしまった。
たとえばポーランドでは1980年代の初め、供給不足のパンの価格が吊り上がらないようにを補助金を付加して価格を安く維持しようと試みた。
基礎的な食糧は「政治財」と呼ばれる財である。
だから、たとえ不足していてもその価格を引き上げるというわけにはいかない。
インドネシアでは米不足のせいで暴動が発生し、独裁的な権力をもった大統領すらも辞職に追い込まれたのである。
だがしかしその結果、パンの価格はブタのエサ穀物より安くなってしまった。
そして安くなったパンは、穀物の代わりのエサとしてブタに与えられてしまった。
そのお陰で品不足のパンはさらに品薄となり、経済の非効率化はさらに進んでしまったのである。
この点で、経済計画の策定者や政治家の思惑によって分配が歪曲されるような社会主義計画経済より、経済に参加する個人によって価格が決定される私有財産制市場経済の方が、はるかに大きな利点を持っているといえる。