製造業の変化
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二十世紀末の激しい技術改革と進歩は、多くの側面で組織に影響を与えてきた。
たとえば研究開発と製造過程の両方で、規模の経済性の重要性が増した。
巨大な研究開発コストや、投資リスク負担を分担するために、世界的な様々な企業間での提携が模索された。
このことは企業の境界を不明確にし、組織間のコーディネーションの必要性を高めている。
また情報通信システムと高速航空運送の著しい発達は、通信コストと運送コストを大幅に下げた。
そのために企業は、顧客の近くの支店や販売店に商品をたくさん在庫しておく必要が無くなってきた。
というのもお客さんからの注文があれば、直ちに本社や工場から商品を地方地方に発送するということが可能になったからだ。
そのかわりこれらの企業では、顧客の需要情報を集め、迅速に処理し、需要に合わせて生産を調整し、必要な時に届くよう出荷することを重視することとなった。
たとえばイタリアの衣料メーカーのベネトン社は、毎夜世界中の支店から販売情報を本部に集め、ベネチア近くの唯一の中央倉庫から必要なだけ商品を出荷する。
セーターなどのニット商品は生成で製作し、発注やお客さんの購買情報がわかった時点で注文された色やその年の流行色に染めて出荷する。
つまりベネトンでは発注があってから染色するために、流行色の「ハズレ」がなくなったわけである。
このような経営は、各店舗で大量の商品在庫を持つ必要性が減り、最も価値のある時と場所にだけ商品を出荷することが可能になったため、企業全体の在庫費用が削減された。
それまでは、データ通信費用や輸送に時間とコストが大変かかった上に、それらの信頼性が低かったので、そのような経営が非現実的で難しかったのだ。
またこの方式を採用するためには各店舗で使われるシステムを標準化し、システムの変更が常にスムーズに行えるように本部と支部の間に密接なコーディネーションを維持しなければならない。
つまりこのような事ができるようになったのは、新しい技術が生まれたからなのである。
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フレキシブルな製造技術
現代の製造技術は、非常にフレキシブルである。
一つの機械で何種類も製品を作り出せるし、単位時間当たりの製造量も大きい。
日本の自動車メーカーは一つの生産ラインから複数の車種を自在に作り出すことに成功し、アメリカの自動車メーカーを震撼させた。
だがそうなると「何を」「どのくらい」「いつまで」に作るかが、重要な問題になってくる。
一つの商品を朝から晩まで大量生産していた時代には、調達する資材やインプット部品は一定であったから、考える必要はあまりなかった。
販売方法や販売ルートも決まり切ったものでよく、いくら売れたとかいくら儲かったかということを考えればそれで済んだ。
だがしかし、多種類の商品を一所で製造できるようになると、そのための原材料やインプット部品の調達や販売方法・販売ルートは多岐に渡ってしまうから、もはや単純な原価計算システムや単純な生産計画は役に立たなくなってしまう。
そしてそれは管理職に要求されるキャリア・パスをも変化させ、管理職は様々な部署を渡り歩き、それぞれの部署の概略を掴み、全体のコーディネーションを行えるだけの経験を積まねばならなくなった。
そしてさらに、このような変化は労働者にも影響を及ぼした。
それは労働者に、単純労働や一度身につけた技術のみで仕事をするのではなく、進歩する技術を常に習得し、それを理解し応用する能力を要求したからである。
そしてそのような能力を備えた労働者には、単純労働に対するよりもはるかに高い賃金が支払われるようになった。
企業の活動がグローバル化し、所有形態や金融構造、資金調達すら国境を越えている現代において、日々刻々変わる世界の消費者のニーズを正確に捉え、それに的確に対応するために、経営者から管理職・中間管理職・労働者に至るまでがフレキシビリティ(柔軟性)を持たねばならない。
そのために新しいリテラシー(読み・書き・そろばんの技術)やコーディネーションが必要となったのだ。