膨大な取引費用が効率的配分を阻む
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所有権などの権利の取引費用が充分低い場合、つまりある程度のお金があれば自由にその権利が買える場合、その権利の最初の持ち主が誰であろうとさほど問題ではない。
だがカリフォルニア州の水利権のように水の融通が禁止されていて、その権利も譲渡不可能な場合は、最初にその権利がどこにあるかが非常に重要な問題になる。
つまり最初に不適切な権利の割り当てを行えば、それは取引や市場メカニズムでは調整されないため、非効率な状態が延々続くことになってしまうのだ。
公害や環境に関しても、同様の事が言える。
たとえばコースの定理に従えば、環境を汚染する権利を汚染者(たとえば農家とか産廃業者)に与えても、環境から受ける便益の権利を住民に与えても、取引によりちょうど良い汚染バランス(環境基準を下回るようなバランス)が達成されるはずである。
つまり汚染者が環境を汚染するのを阻止したければ、住民はその権利の全部もしくは一部を買い取ればよい。
「何々の農薬を100単位撒く権利」や「ある種の産業廃棄物を廃棄する権利」を汚染者から買い取れば、それらによって起こる汚染は軽減される。
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不適切な権利の割り当て
だがしかし、ここでは取引費用が膨大になる。
汚染物質の環境への影響を調べるにもかなりの費用がかかるし、それを立証するにも膨大なコストがかかる。
また環境から受ける便益も数値化しにくく、その価値判断も個人によって様々であり、フリーライダー問題もからんで過小評価されるだろう。
つまり環境を高く評価するというのは、環境保全に対して多額の金銭を支払う用意がある(金を出す気がある)ということだ。
だから人々は自分の懐具合と相談して価値判断することになり、どうしても過少評価になってしまうのである。
そして最初に農家や産廃業者に汚染権を付与してしまった場合、権利の取引費用が便益よりはるかに大きくなってしまい、コースの定理の前提が成り立たなくなるわけである。
だから政府や行政機関はこの権利を最初に汚染者に付与すると、非効率な状態を延々続けることになる。
実際1970年代の公害や、近年の農業関係の汚染・産廃による汚染などは、そういう不適切な権利の割り当てによって起こっていると理解できよう。