企業が多角化した原因
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この当時(1980年代)は今のように、世界各国からフリーハンドで部品を買い集め、労賃の安い国で組み立てて売るなんていうことが殆ど行われてなかった。
部品自体、先進工業国で作るのと中進国で作るのとでは品質に置いて雲泥の差があり、またそれが同業他社に対して販売上の強力なアドバンテージ(優位)となる時代だった。
企業は自社内あるいは系列企業グループ内で基幹部品を開発して生産し、組み立てて売る。
部品をライバル会社に売るなんて、想像だにできなかった時代だった。
そういうことをする場合は、たとえば駅の自動改札機のように、オムロン(立石電機)一社しか製造ノウハウを持たないばあいだけだった。
市場独占は独占禁止法に抵触するので、東芝に機械などをOEM(オムロンの工場で製造してTOSHIBAのラベルを貼る)供給して、回避した。
もちろんアメリカの企業などにOEM供給はしていたが、日本の企業が国内のライバル会社に自社の主力商品の部品を売るなんて言うことはなかった。
要するに、競合他社から部品を調達することができなかったからこそ、企業は多角化しないとやっていけない状態だったわけだ。
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選択と集中
ところが、β対VHSというビデオ規格戦争で同業他社と組んでシェア争いをするという経験の後、ソニーはおどろくべきことをやった。
というのは、ビデオウォークマン(画面付き8ミリビデオ)の液晶画面を液晶技術を得意とする同業他社であるシャープから調達することにしたのだ。
これは当時「離れ業」だった。
液晶を大量生産する技術を確立したモノの、自社製品に利用するしかなかったシャープを口説き落とし、競合しない分野の商品のための液晶を調達することに成功したのだ。
今では他社にも部品を供給しなければ、製造ラインの生産効率が下がってしまい、そういうことももう当たり前になった。
部品を調達して他社の製品を組み立てることを専門とするような企業(たとえばソレクトロン)なんていう会社まで立派な企業として存在するようになった。
逆に言うと、外部から必要な部品を調達することが難しかったために、1960年代から1980年代までは企業は多角化を進めたわけだ。
そして外部調達が簡単になったために、1980年代末からは逆に自らの得意とする分野に経営資源(つまりヒト・モノ・カネ)を重点的に配置するようになった。
これがいわゆる「選択と集中」で、ここで工業生産の大きなパラダイム・シフトが起こったわけだ。
たかだか二十年弱の間に起こったことだが、隔世の感があるね。