古典派の労働市場理論
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労働者の雇用と賃金は、労働市場によって決定されると言うのが古典派理論である。
この理論は前提として、不特定多数の労働者と雇用者がいて、労働者は常に賃金の高い職に転職しようとし、雇用主も不要な労働力を直ちに解雇して削減できるという状態をおいている。
だが現実の社会では、そういう気軽な転職が可能なのは将来性のある若くて有能な人材だけであり、また経済全体の景気がいいときだけの話である。
そしてまた自由な解雇といっても現在は、法律的な規制や退職金(あるいは一時金)のようなコストがかかるし、簡単には行かない。
それでも確かに古典派理論の示すような労働市場は存在する。
たとえばアメリカの農場で働く移動農業労働者(季節労働者)などの雇用。
毎シーズンごとに新しい募集と契約が行われるために、そういう「雇用労働量曲線」と「限界生産物収入曲線」とが交わるような均衡点で雇用が行われることになる。
労働者はアメリカ国内のみならず、メキシコや中南米からやってくる。
これはつまり「労働が比較的単純な作業で」「契約が短期間のシーズン制で」「応募する労働者がたくさんいる」ような場合であり、だからそういう労働市場が成り立つのである。
ところが現代の雇用関係では、そういう労働市場が成立しにくい。
なぜなら現代においての労働とは単純作業と言っても高い知的レベルを要求されるものであるし、専門的なスキルによる労働が多いからである。
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人的資本(ヒューマン・キャピタル)
古典的労働市場の成り立つ場合というのは結局、人的資本が特殊性を持たない場合である。
特殊性を持たない人的資本とはつまり汎用的な労働能力のことで、簡単に言ってしまえば「その社会の一員なら、たいてい誰でもできるような労働能力」のことである。
これに対して現代の社会では「企業特殊的(ファーム・スペシフィック)な人的資本」というモノが存在し、単純な古典的労働市場の理論が成り立たない状況を作っている。
つまり労働市場でも、市場の失敗が起こっている。
たとえばジャンボ・ジェットのパイロットは、ジャンボジェットを使って業務を行っている企業でのみその労働価値を最大化できるし最大に評価されうるが、パソコン会社で受ける評価は殆ど0に近い。
企業は技術をパイロット候補生に修得させ雇用するが、それはその候補生がある一定期間内は他社に移動しないと言う確約があってこその投資であり、だから古典的労働市場のように「簡単に首にしたり或いはたくさん雇ったり」ということが困難なのだ。
だがしかし古典的労働市場理論にでてくるような労働者には、企業はそんな投資はしない。
ドンドン移動して稼ぐ季節労働者に農業大学で学ばせるように補助をだしたり、読み書きそろばんを教えたりはしない。
そんな投資はあまり意味がないから、殆ど行われない。
つまり古典的な労働市場理論では、現代の企業社会の雇用関係をうまく説明ができないのである。