企業の内部構造
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20世紀における企業組織の最も重要な変化とは、第一次世界大戦後に導入された「事業部制」である。
「事業部制」とは個々の事業部の長が自分の部の業績に責任を負い、より上位の経営者に対して報告を行う制度である。
上位の経営者は事業部長の業績を評価し、各部門の活動をコーディネートしそして企業全体の戦略を立案する。
このような事業部制は、GM、デュポン、シアーズ・ローバック、ニュージャージー・スタンダードオイルなどの企業で始まった。
そして事業部制を採用した企業では、なぜかドンドン事業を多角化していった。
GMは自社の技術が使えるような分野にドンドン事業を展開し、乗用車だけでなくトラックや機関車や、冷蔵庫やエアコンまで作り、その購買資金の融資(ローン)すら始めるようになった。
しかしこの事業の多角化は、アメリカのような先進国だけで起こった現象ではない。
たとえば韓国のラッキー・ゴールドスター(LG)社は当初、化粧クリームだけを生産していたが、そのクリームを入れるガラス容器のプラスティック・キャップを自製することから関連事業を一段階づつ付け加えて行った。
その結果、最後には化学・石油・エレクトロニクス・ファインケミカル・半導体・光ファイバー通信・保険等という分野に事業を多角化させた。
これらの背景には、他社から材料や部品を調達する場合のコストより自製するコストがはるかに安かったという事情もあったのだ。
しかし、系列外取引や電器業界などの同業他社との取引が盛んになると、多角化のメリットは失われ、1980年代には逆に事業のフォーカス化が進むこととなった。
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事業部制のなりたち
事業部制が導入されるまでの企業組織はたいてい、強力な中央集権型組織か、或いは中央からのコントロールが殆どない独立した企業の集合体(すなわち持ち株会社型)組織のどちらかであった。
だが企業規模が大きくなり事業の多角化が進むにつれて、中央集権型組織では現場の状況が上手くつかめなくなり、中央の指令も現場ではうまく実行されなくなってきた。
中央集権的組織の規模がそのままのシステムで拡大すれば、当然中央の決済量が爆発的に増える。
つまりこのシステムでは末端の工場がちりとり一つ買うにも中央に「お伺い」を立てねばならず、そんな些細なことで書類を書いたり電話をしたり上司に掛け合ったりという時間を使うのは、末端にしても中央にしても「アホらしい」ことになる。
そう言うわけだから大組織では可能な限り権限を下位に委譲し、下位の責任者に適切なインセンティブを与えるという形で各部門のコントロールを行うようになった。
業績に関して一定の評価基準を設け、下位の責任者をアメと鞭でコントロールする、、、そう言う方法を採るようになった。
つまりこれが「事業部制」であり、下位の責任者は上位のスタッフに様々な相談やアドバイスを受けることはできるが、本部は日々の細々とした問題に関しては何ら決定を下さない、、というわけである。
もちろんこの背景には多角化した現場の情報が中央の経営幹部に正確に伝わったとしても、中央の幹部にはそれの意味するところが理解できなくなってきたということがある。
言ってみれば巨大組織の中央の経営幹部は金融や経理や販売や政治的な折衝などの能力に長けておれば良く、自社でどのような商品を作ることができるか、自社の持つ資産がどのような可能性を持っているか、現場にどういう人材がいてこれからどういう人材を必要としているか、、、といった事に関しては、わからない。
そう言った意味で現場の状況を良く理解しているのは各事業部のトップ(工場長や事務所長、支社長、販売所長など)ということになる。
だから、本部は各事業部長に予算を与え彼らとインセンティブ契約を結ぶ方向で事業部制ができあがることとなった。