不確かな財産権とインセンティブ

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 取引が不可能な財、誰のモノか帰属がハッキリしない財などの「不確かな財産権」から発生したインセンティブ問題は、様々な名前で問題にされる。

 

 たとえば・共有資源の問題・公共財の問題・フリーライダー問題・共有地の悲劇といった問題などがそうである。

 

 これらの問題の基本的な構図は、「大勢の人々が一つの共有資源に対する利用権を持つ時、資源の過剰利用インセンティブが生じる。

 

そしてその共有資源のコストを分担して提供する義務を負うとき、過少供給に陥る」と言うことである。

 

 資産の残余利益が広範に(つまり大勢の人に)分配されるとき、誰もその資源の維持や増進について積極的に費用を負担しようとはしない。

 

「公園が足りない」「憩いの場がない」と人々は言うが、それを自分たちの金と力で作ろうとする動きは弱く「行政に求める」のみであることが多い。

 

 というのもそういう場を作るのにはコストがかかるし、それを維持するのにもコストがかかる。

 

 街の中の小さな公園を作ったり維持したりするために、ゴルフ場の会員権などのようなやり方は殆ど不可能。

 

 また公園を作って木々を植え、綺麗な花壇を作ったとしても、それを楽しむのを会員のみに制限するのは難しい。

 

 これを経済学では「非排他性」というが、そうして自分がコストを負担して、コストを負担しない誰かが楽しんだり儲けたりするような状況では、殆どの人間がタダで利用する方を選ぼうとする。

 

 だから、公共財や共有資源の供給や管理は、必要最小限を下回る(アンダーサプライ)ということになる。

 

 こういう場合の対策として、所有権の集中(特定のグループに所有権を設定する)が効果を上げることがある。


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「漁業権」の是非

 たとえば漁業資源は常に「再生可能」でなければ漁民はすぐに失業する。

 

 乱獲によってカニやまぐろなどの生息数が、種の維持を保てる最小数より少なくなると、その資源は枯渇する。

 

 だから漁業権という「所有権」を設定し、それを地元地域や漁協などに与えると、地元の漁業資源を保全しようと言うインセンティブが生まれる。

 

 なぜかと言えばそれは、他の海域にも同様の漁業権が設定される。

 

 だから、自分の海域の資源が枯渇した場合、他の海域でサカナなどを取るには「入漁料」や「漁獲割り当て」などの仕組みによってより大きなコストがかかるようになるからである。

 

 高く売れる魚であれば少々高い入漁料を支払っても、外に穫りに行くインセンティブは生じるが、しかし高く売れる魚をわざわざ他の海の漁師に安く穫らせるなんて事はない。

 

 市場価格と外から取りに来た漁船のコストの差が結局「入漁料」になる。

 

 リカードの「差額地代論(レント)」と同じような感じである。

 

 だからその漁場の漁民がバカでない限り、結局は同じことになる。

 

漁業権を設定することによって、そうして漁業資源の保全をするインセンティブを作り出すことができる。

 

 だがしかし、もちろん問題はある。

 

 まず第1に、不法侵入して乱獲する外部の船を排除するのに、相当費用がかかってしまう。

 

 海はなんと言っても広いから、外部の船を排除するのにはものすごい金がかかってしまう。

 

 その費用を国家が負担すれば、漁協の財産権という私的財産を保護するために多額の税金を投入しなければならないということが生じる。

 

 そして第2に、漁協内での乱獲者や違反者の不正行為を防止するコストもかかる。

 

 第3には、漁業権の取り扱いや分配方法について、もめる事は避けられないと言うことである。

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