事業部制企業の展開
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1850年以降、企業の生産力は爆発的に増大した。
それは蒸気船・鉄道・電信技術という三つの発明によって引き起こされた大変革であった。
それまでの帆船での海運は、運送計画を立てるにも非常に不安定で何時商品が届くかわからず大ざっぱなモノであった。
しかし自力でグイグイ航行できる蒸気船の発明で、海運計画は以前と比べて非常に容易に立てられるようになった。
そして鉄道の発達も、それまで地形などの条件によって阻まれてきた様々な地域との交易・交流を可能にし、人間の移動を容易にした。
電信技術の発達は、遠隔地の情報をただちに入手するために大いに役立ち、これらの技術のお陰で「ヒト・モノ・情報」の移動は桁違いに盛んになった。
そしてそうした技術が確立したことで、企業は商品を大量生産して大量販売することに力を入れ始めた。
なぜならそれまでは原材料を仕入れるにも、できた商品を売り捌くにも、運賃コストがかかりすぎてたくさん作っても売りようがなかったからである。
しかし海運が発達し鉄道の敷設が内陸部の交易を容易にしたお陰で、大量生産による規模の経済性が見込めるようになった。
狭い商圏でしか商売が成り立たなかった企業が、場合によっては世界市場制覇すら狙えるようになった。
企業は巨大化し、そしてその巨大な企業のファイナンスのために巨大な債権・株式市場や巨大銀行が誕生した。
これらの変化は企業経営にも大きな変革をもたらした。
というのも巨大組織の経営は、専門的な知識とスキルを持った管理職が必要となり、そしてここで初めて「中間管理職」なる仕事が誕生した。
そうしてキリスト教会や軍隊式のヒエラルキー形態が、企業経営にも持ち込まれた。
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事業部制企業の展開
20世紀における企業組織の最も重要な変化とは、第一次世界大戦後に導入された「事業部制」である。
「事業部制」とは個々の事業部の長が自分の部の業績に責任を負い、より上位の経営者に対して報告を行う。
上位の経営者は事業部長の業績を評価し、各部門の活動をコーディネートし、そして企業全体の戦略を立案する。
このような事業部制は、GM、デュポン、シアーズ・ローバック、ニュージャージー・スタンダードオイルなどの企業で始まった。
GMは1920年代に高級車と低価格車の二部門に事業を分け、その上に事業部の業績を判断・評価する本部を置いた。
デュポンは元々火薬メーカーであったが、戦争終結後にはその技術を転用して化学肥料の生産を始め、そのための事業部を設置した。
シアーズ・ローバック社は工具などの商品を売る非常に集権的な会社であったが、衣料品の販売に乗り出したとたんそれが障害となり、全国一律の商品販売から地域ニーズや特性に応じた販売に適応できるよう地域別に事業部を設けた。
ニュージャージー・スタンダードオイル(現エクソン)は、反トラスト法違反の判決を受けて一度は解体されたが、その後垂直方向(石油の発掘から石油製品の販売まで)に事業を展開し、同時にまた水平方向(石油製品の様々な商品化)にも展開した。
だがあまりに手を広げすぎたために経営が複雑化し、結局工場や事業ごとの事業部制に移行することとなった。