共産主義経済とラチェット効果

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 今回は読むのでR!で定義が問題となった「ラチェット効果」の話です。

 

 語句の定義やその含蓄(インプリケーション)は、学問分野によってかなり異なるようなので、このメルマガ上ではソ連の計画経済体制から観察されたラチェット効果をそのイメージ(定義)といたします(確かh11年度の経済白書でもそのような意味合いで用いられていたように思うが)。

 

共産主義経済と財やサービス

 

 20世紀初頭、世界は共産主義運動によって席巻された。

 

 共産主義者による革命がソ連・東欧・中国に起こり、玉突き衝突のように世界各地で同様の共産主義を標榜する国々が続々と誕生した。

 

 だが共産主義政権は殆ど例外なく国家権力の独占を好み、当初こそ野党などの批判勢力を容認するような態度を見せたが、自由な経済体制の下では国民がすぐに共産党に反旗を翻すと見るや否や、国家のありとあらゆる権利や権限を共産党の下に集中させ、経済体制も自由主義的な経済から「優秀な」共産党によって指導・統制される「共産党中央政府による指導統制経済」によって置き換えられた。

 

 すなわち何をどれくらい作るかは中央の共産党政府が決め、それを生産するための資本財の価格や投入量も共産党が一方的に決めた。

 

 Aという商品をX個作るために原材料がY単位、エネルギーがZ単位、労働投入量がU単位、、、という風に計算を行い、それによって作られた商品は、全国どこでも決められた金額で売らねばならないという風に物流や人の流れを固定化し始めた。

 

 そうして金槌やバールのような工具にも直接「定価」が刻み込まれ、全国どこでもその商品がその価格で売買されるようになったのだ。

 

 しかし、このようなシステムは、価格が需要と供給をバランスさせる機能を否定するものであり、不足している財(ざい=商品のこと)やサービス(たとえば散髪料とか運送費とか)の価格が上昇することによってその財やサービスの供給が増え、過剰な財やサービスの価格が低下したらその財やサービスの生産が減るという市場経済システムを完全に否定したものであった。

 

 というのも共産党や共産主義者によれば、これらの財やサービスの過不足はほぼ把握できうるモノであり、優秀な共産党の指導によって調整できうるものだとされていたからである。

 

 情報を集め、綿密な計画を立てれば財やサービスの適正な生産量やそのための資源配分、あるいは全国に財やサービスを適正に行き渡らせることが可能であると考えていたからである。

 

 だがしかし実はこのような生産・販売システムは、生産地から遠方の土地や、僻地には財やサービスが供給されないというシステムであった。

 

 なぜなら財やサービスの価格を勝手に一つに決めてしまうと、たとえば広い国土の西側で生産された金槌やバールは輸送・流通コストがかかるために遠隔地や国土の東側には流通しなくなる。

 

 何せ金槌やバールに直接値段が刻み込まれているのだから、モスクワでもシベリアの奥地でも1,000円と決めたモノは1,000円で売らねばならないのである。

 

 だから財やサービスは原価と流通コストなどの諸経費がより小さくなる地域でのみ充分流通し、これらの合計が1,000円以上になる地域では当然ながらそれらの財やサービスは流通しなくなった。

 

 通常の自由経済であれば、いくらコストがかかってもそれ以上の価格で買ってくれるお客さんがいれば財やサービスは流通するわけであるが、しかし価格とコストの間の関係を無理矢理断ち切った共産主義経済体制では、そのような過不足をなかなか調整することができず、名目だけの貧富の差(富の配分)は平準化されたが、逆に実質的な財やサービスの供給はとんでもない不公平(財やサービスに関する貧富の差)を生むこととなった。

 


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生産ノルマとラチェット効果

 共産党や共産主義者らによる独占的支配力を行使した共産主義経済は、いわば人間が無理矢理作り出した非常に人工的な経済であり、高圧的なただの統制経済であった。

 

 というのもこのような共産主義経済が成り立つ根拠は(繰り返しになるが)共産主義と共産党の「優秀性」、或いは彼らの「無謬性(むびゅうせい=決して間違っていないこと)」にあり、またそれが実際に可能なはずだという「信念」に基づくものであった。

 

 だから実際そのような計算に基づく計画経済が上手く運営されうるものかどうか、或いはそれが現実に今までの経済より優れたものになるのかどうかと言った疑問は愚問であるとされ、少なくとも共産圏や共産主義者らの間ではタブーであった。

 

 だが少なくともこれらのシステムは、国民の経済的生産インセンティブ(=人間に特定の行動を起こさせる原因や材料。

 

馬を走らせるニンジンのようなもの)を大きく低下させるものであった。

 

 というのも一つには、労働者の給料はその所属する企業の業績とは切り離され、いくら作った商品が売れなくても「一生懸命働いた者には給料が支給されたからである」。

 

 売れても売れなくても給料が同じなら、別に仕事に身を入れて売れる商品を作る必要はない。

 

不良品をいくつ作ろうと、クビにならない程度であればそれでいい。

 

 そしてたとえ一つの企業や一人の人間が良いモノを作ろうとしても、それは難しい話であった。

 

 なぜなら一つの企業だけがそのような努力をしようとしても、質の良い資源や機械や労働力が手に入らなければ良いモノは作れない。

 

 日本のように標準以上の品質の部品やエネルギー、或いは労働力が手にはいるような社会でなければ、質の高い製品を作るのは難しい。

 

 そういうわけで労働者は次第に懸命に働かなくなり、生産に対するインセンティブは低下した。

 

 そして二つ目には、中央政府による統制が国民の生産インセンティブを大きく低下させた。

 

 すなわち中央政府の統制の元で生産を行う企業は中央政府の計画官の計算通りに生産を行わねばならなかったのだ。

 

 しかし、その企業の生産が少なすぎても処罰を受け、そしてさらに良質な製品を予定より多く作りだしても処罰されるというようなことが起こったのである。

 

 たとえばある企業の生産量が少なければ「無駄遣いをしている」「材料の横流しをしている」と疑われた。

 

 そして逆にある企業が努力して生産性を向上させたとしても、「そういう上手い生産ができることを今まで報告せず、労働者の代表たる共産党をだましていた」という理由から処罰を受けた。

 

 生産性が上がっても下がっても処罰されるというのであるからこれは中世ヨーロッパの「魔女裁判」のようなものなのだ。

 

 しかし、共産主義国は共産主義や共産党の無謬性に基づく社会であるから同じような事が当然起こる(要するに親分が黒と言ったら白でも黒)。

 

 そしてたとえ処罰を免れたとしても、あるシーズンに製品を作りすぎれば次のシーズンにはそれだけ多くのノルマ(生産割り当て義務)が課せられ、次のシーズンにそれが達成できなければやはり「怠慢である」とか「資材を横流しした」として処罰を受けた。

 

 このような事をしていて生産性が向上するはずがない。

 

 因みにこのような「あるシーズンの成績が良かったために、ノルマ(次期生産割当量)がその分上乗せされて固定されてしまう」という現象がすなわち「ラチェット効果」と呼ばれるものである。

 

 ラチェットとは一方向のみにしか回らない歯車のことで、一旦それが回ってギアが上がってしまうと再び元には戻らないと言うものである(モンキーレンチのように、一方向にだけガチャガチャ回せる工具のようなものを想像してもらえば良いかも知れない)。

 

 ノルマが増えるとそれはまた資源の「横流し」や「他社との交換(融通)」を不可能にすることを意味したので、共産主義国の労働者や企業経営者は生産性を上げることより計画官の計算通りか、それよりやや下回る程度に生産を抑えるようになった。

 

 企業から共産党へ報告される情報は歪曲され、資源量の不正申告も後を絶たなくなった。

 

 そういうわけで共産主義国の計画経済はさらに不正確なものとなり、生産性向上に対して大きなマイナスのインセンティブしか作り出しえなかった。

 

(つづく)

用語のまとめ
1)ラチェット効果: あるシーズンの業績が良かった時に、次のシーズンのノルマや業績の評価基準を高く引き上げるようなことをすると、毎シーズンの業績向上のためのインセンティブが失われてしまうという現象。

 

(注:この話はこの後何度も出てきます)2)インセンティブ: ある人の行動などを特定の方向に誘導するための原因や材料などのこと。

 

馬を走らせるためのニンジンのようなもの。

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