事業部制と企業の多角化
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20世紀初めの巨大企業は狭い範囲に事業を絞っていた。
つまり石油会社は石油だけに、製鉄会社は製鉄だけに、、と専門分野に仕事を特化していた。
フォード自動車はたった一色のT型フォードしか生産していなかったし、ジレットは剃刀と替え刃だけを生産していた。
しかし事業部制を採用した上記四社は、ドンドン事業を多角化していった。
GMは自社の技術が使えるような分野にドンドン事業を展開し、乗用車だけでなくトラックや機関車や、冷蔵庫やエアコンまで作り、その購買資金の融資(ローン)すら始めるようになった。
これら企業の事業多角化は事業部制が広まるにつれて広まり、1960年代にはピークに達するようになった。
「ラーメンから餃子まで」ではなく「ラーメンから戦車まで」扱うほどに企業の事業多角化は進んだ。
この事業多角化はアメリカのような先進国だけで起こった現象ではない。
たとえば韓国のラッキー・ゴールドスター(LG)社は当初、化粧クリームだけを生産していたが、そのクリームを入れるガラス容器のプラスティック・キャップが手に入らず苦心していた。
しかしどうもそれが手に入らないようであったので、仕方なく自社生産を始めた。
だがキャップだけを作っていてもまるで採算が合わないから、同じ工場で歯ブラシやクシ、石鹸箱等も作り始めた(範囲の経済性ですね)。
そしてプラスティック事業はさらに扇風機の羽根や電話のケース製造に拡大し、ついには電化製品事業にも事業を展開した。
その上プラスティックの原料を確保するために、石油輸送から石油精製まで手を伸ばし、タンカー輸送の保険料支払いに辟易したあとは保険事業までやり始めた。
そうしてLG社は関連事業を一段階づつ付け加えて行き、化学・石油・エレクトロニクス・ファインケミカル・半導体・光ファイバー通信等という分野に事業を多角化させた、、、、、。
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これらの企業組織形態の変化や事業の多角化は、変化する経済環境に適応するために起こった変化である。
LG社のような多角化が起こった背景には、必要とする資源やサービスが十分に手に入らず、しかも法外なコストでしか手に入らなかったからであると考えられる。
だから仕方なく足りないモノを自社で内製し、コストダウンを図っていった結果が多角化であるということになる。
同業種企業間の取引(融通)がない時代ではどうしてもそう言うことになるのだろう。
だが1980年代に入り企業の壁は薄くなり、同業種企業間同士の取引も活発になった。
たとえばソニーは自社のビデオカメラにつける液晶画面を同じ家電メーカーであるシャープに発注し、電機業界を驚かせた。
ビデオの独自規格であったβ規格がVHS陣営に負け、自社ですべてのパーツの開発・製造をまかなうより、液晶に強い同業他社と組んで製品を作り上げ、市場シェアをすばやく確保する戦略に転換したのである。
他社製品に自社ブランドを付けて売るOEM供給も盛んになり、同業種企業間の商品取引も当たり前になった。
そういうわけで企業の多角化は1960年代にピークを迎え、1980年代には逆に事業のフォーカス化が進むこととなった(前章参照)。