市場の失敗(3)外部性
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以下の問題が生じるとき、厚生経済学の基本定理は成り立たず、「市場の失敗」が起こる。
- (1)市場支配力のある経済主体の存在(独占・寡占など)による、失敗(非効率)
- (2)規模にかんする収穫逓増(生産の不連続性)による失敗(非効率)
- (3)経済外部性(イクスタナリティ)による失敗(非効率)
- (4)サーチング・マッチングなどによって生じる分権的市場価格による失敗(非効率)
因みに市場の失敗とは、市場による均衡価格が資源の配分を最適化せず、経済全体の効用を最大化しない場合という事であるが、今回は後半の3と4についてである。
市場の失敗(3)外部性
「外部性」とは、ある経済主体の活動が、価格システムを通じないで他の主体の経済厚生に及ぼす効果のことである。
一番わかりやすいのは公害などであろう。
農家は作物を大量生産するために様々な農薬や肥料をばらまく。
それは河川や土壌や地下水を汚染するが、しかしその修復は行わないからその被害や修復費用はその自治体や周囲の他の住民が支払うことになる。
汚染に対する費用負担を誰が行うかは市場で決定されないから、農家の生産行動にこの費用は影響をもたらさない。
すなわち経済の外部にある。
だからこれを「外部性(イクスタナリティ)」という。
ただし外部に対して無料で副次的な財やサービスを提供する場合は「外部経済的」といい、害をなす場合は「外部不経済」と言ったりする。
外部性によって市場が失敗するのは、意志決定者が決定によって生じる全てのコストと全ての便益(ベネフィット)を勘定に入れないからである。
また美しい人や明るい人が街を歩くと、周囲の者が楽しくなる。
これを「外部経済(的美人)」と言うことがある。
そして逆に嫌悪を催す者が街を歩くと「外部不経済(的不美人)」になる。
美醜は人や物に付属するので、それのみを取り出して市場で売買することはできない。
そしてその影響もたいてい局地的なものなので、十分な数の市場参加者も得られない。
だから厚生経済学の基本定理は、成立しないことになる。
これを特に「市場の欠落」と呼ぶこともある。
外部性はもちろん全てが「欠落」になるとは限らない。
公害のような因果関係がはっきりしている物に対しては、それに一定の「従量税」を課すことによって均衡状態を作ることができる。
たとえば現在の農村や下流域の汚染修復費用を現在使われている窒素肥料の量で割り、それを税金として徴収することによって、外部不経済を経済の内側に持ち込み均衡を得ることなどが可能である。
(PPP:汚染者負担の場合)
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市場の失敗(4)分権的市場
~サーチング・マッチング・コーディネーションのコストが必要な場合 新古典派モデルでは、誰もがその財の価格を知り、取引される場所や時間がいつだか知っているという仮定にたっている。
だが現実には自分の売りたい物・買いたい物の売買価格や売っている場所を探索(サーチ)し、その情報を集めなければならない。
もちろん売りたい人と買いたい人がいつでも同数だけ存在して一対一で対応するわけでもないから、そのマッチングも難しい。
そういうわけで人々は必ずしも最安値でものを買うわけでもなく、最高値で物を売るわけでもない。
だから人は取引相手を捜すコスト(サーチング・コスト)や条件をすりあわせるコスト(マッチング・コスト)と財の価格とを足し合わせ、適当なところで妥協を図って取引を行うわけである。
となると市場は「分権的」になる。
あっちの市場とこっちの市場では、同じ財でも取引価格が異なるという非効率が起こる。
また新古典派モデルでは、十分な売り物と十分な買い物ができると仮定している。
だから、欲しい人はいくらでも同じ値段で物を買ったり売ったりすることができることになるが、実際にはそうではない。
物が売れなければ買わないし買わなければ作って売らない。
だから非効率な低水準の生産や消費しか行われなくなる。
そうして「市場の失敗」が起こる。
(つづく)