サービスは顧客それぞれにカスタマイズされる
アダム・スミスは、サービスが無形であるが故に生産的であるとは見なさなかった。
そして1980年代の経済学者達も、製造業が生産拠点を自国から、労賃の安い中進国に移すことを「経済の空洞化」として捉えた。
それは生産というモノを、有形の産物を生むことであると理解し、人々が無形なサービスより、有形な商品を求めているのだと理解していたからといえる。
だがモノが溢れるほどの生産力を持ってしまった経済では、「消費される」ということが経済にとって、いかに大事なことであるか分かってしまった。
というのも消費されずに残ってしまえば生産が止まる。
生産が止まれば経済は停滞する。
こうなると費されずに余ってしまった商品は、ゴミなのである。
国土を農薬だらけにして米ばかり大量生産しても、それを買って食ってくれる人がいなければ、それは経済的には生産ではなく破壊でしかない。
だがサービスとは無形の価値であり、発生すればただちに消費されてしまう経済価値だから、そういうことはない。
そして人々が有形なコモディティより、無形なサービスの方を選ぶと言うことも分かってきた。
モノが過剰になり技術が進展すると、人々はより心に優しいものを選ぶ。
二十年前のベストセラー・ネイスビッツの「メガトレンド」の一章に、「ハイテック・ハイタッチ(high-tech high-touch)」という章があるが、ハイテクが進むとそれに呼応するかのように人々は触れあいを大事にする。
サービスのもう一つの「既知の顧客それぞれの要求にカスタマイズされた」という定義がそこで生きてくる。
つまりサービスとは商品より「よりハイタッチ」なのである。
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顧客に合わせたサービスには大金が支払われる
サービスというのは、顧客それぞれに合わせてカスタマイズされた価値である。
たとえばコーヒーショップやレストランに行けば、まず何を飲むか何を食べるかを尋ねられる。
砂糖はどうする?ミルクはどうする?ステーキの焼き具合は?また散髪屋に行けば、丸刈りにするかパーマを掛けるか、もみあげをどうするか眉毛の下を剃るか?などと、まず理容師に尋ねられる。
これはそれから提供されるうサービスの中身が、サービスを受ける側の要望に応じてカ、スタマイズされて提供されるということである。
もちろんできないサービスは提供されないが、しかしサービスというのはたいていそうして顧客の注文に応じてカスタマイズされるのが当たり前だということは、抑えておかない重要な特徴である。
というのも人々はそういう「顧客にカスタマイズされたサービス」というものにお金を払うため、代わりにありふれたコモディティ化した財やサービスに対する支出を節約するからである。
ありふれた財やサービスを提供する企業や経済主体(たとえば農家)は、世間の景気が良ければ儲けることもできるが、不景気になるとモノが売れなくて赤字になってしまう。
しかしそうでない「顧客個人にカスタマイズされたサービス」を提供する企業や経済主体は、好況でも不況でも利益を上げることができる。
不況だといわれデフレが進む日本の経済においても、着実に利益を上げている企業があるのは、人々がその企業の提供する経済価値に、まず最初に財布のヒモを緩めるからであり、何らかの「顧客それぞれにカスタマイズされる価値」を提供しているからだといえるかもしれない。