アダム・スミスは間違っていた!
従来の経済学では経済価値を、
- 「コモディティ」
- 「商品」
- 「サービス」
これらの価値は従来「第一次産業」「第二次産業」「第三次産業」なとというふうに考えられ、第三次産業より第二次産業の方が「エラく」、第二次産業の方が第一次産業より「エラい」、とされてきた。
しかし実はこれは「生産至上主義的視点」であり、アダム・スミスの個人的経済観でしかなかった。
というのも現代社会において人々がこれら三つの価値に対して支払う価値の大きさは「コモディティ」より「商品」の方がはるかに高く、そして「商品」より「サービス」の方がはるかに高いからである。
形のある農産物や工業製品は、生産力の激しい向上で常に溢れるようになった。
農業の生産力は第二次世界大戦後に5倍になったし、鉱工業の生産性も何十倍にもなった。
そして先進国において第一次産業産物に支払われる対価や就業者数は、経済全体の数%〜十数%を占める程度でしかなくなった(アメリカや日本では3%前後)。
また第二次産業に関してみても、それらはGDPの15〜30%を占めるに過ぎず、実はもう第三次産業に分類される価値に対する、支払いや就業者数が50%以上を占めているのである!つまりアダム・スミスが二百数十年前に「諸国民の富」で、「非生産的労働」として価値を殆ど認めなかった(とテキストp43あたりに書いてある)サービスに分類される価値が、現代社会においては「最も主流の経済的価値(オファー)」となってしまったのだ。
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経済価値同士の関係には、上下関係がある
だがこれは考えてみれば当たり前かも知れない。
なぜなら形あるモノは生産性の向上でどんどんありふれたモノになり、貯蔵技術の進展によって「溢(あふ)れてしまう」からである。
まず第一次産業の農業や鉱業による生産物が溢れ、そして第二次産業の工業製品が溢れた。
そして今、第三次産業のサービス自体も溢れだした。
これら三つの経済価値はそれぞれ一つ一つ独立したものではなく、実は相対的な関連性を持っている。
たとえば主に第二次産業で生産される「商品」とは、第一次産業で生み出された農産物や鉱物資源などを原材料としてを加工したモノである。
そして「サービス」とは「商品」という形のあるモノを利用した無形の価値である。
コーヒー豆という農産物(コモディティ)を原材料として加工し、パッケージとしてスーパーなどの小売店に並べると「商品」となる。
そしてそのコーヒーのパッケージや砂糖やコーヒーカップといった形のある「商品」を選択し、コーヒーという嗜好品を飲める状態にして提供すると「サービス」である。