財布を開けたり閉めたりするのは苦痛だ。
阪神パークや宝塚ファミリーランドと、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオは、一体何が違うのか?一つはスキのなさ。
日常から切り離して人々を、脱日常空間へ引き込むことに心を配っている。
たとえばディズニーランドやユニバーサル・スタジオは、最初に十分高い入場料を支払う。
最初に入場料を支払えば、後は何を見ようと何に乗ろうが構わない。
夜までボーっとしていようが、ミッキーマウスと遊んでいようがタダである。
飲み食いは別料金だが、しかし何かを見たり何かの乗り物に乗るたびに財布を開き、「見ようか見ずに過ごすか」「乗ろうか乗るまいか」と、金銭的な葛藤にさいなまれることはない。
見たいものがあれば見ればよいし、乗りたいものがあれば乗ればいい。
お金を払うのは苦痛だが、それは最初に済ませてしまっているから、後は好きなだけ楽しんで疲れたり飽きたら帰るだけ。
だけど阪神パークやファミリーランドは、乗り物に乗ったりアトラクションを見るのに一々料金を支払う。
何かを見たり何かに乗ったりしようと思ったら、毎回毎回懐具合と相談。
お陰で子供は乗り物に乗り、お父さんお母さんは見物だけ、というような光景がそこここにある。
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「お金がもったいないから、親はガマンして子供だけ乗せる」そんな感じで子供だけが楽しみ、親はぼんやりしている。
ウォルト・ディズニーがディズニーランドを構想したのは、娘を連れて行った遊園地が、連れて行った親たちには、退屈きわまりないものであったからだという(←テキストA85ページ)。
「なんで子供を連れてきた親たちも、楽しめるような遊園地がないのかね?」お金の節約のために阪神パークやファミリーランドでは、親と子供が楽しみを共有できなくなっているのだとしたら、どうしようもない。
そういうところをディズニーランドやユニバーサル・スタジオは心得ている。
お金を払うのは最初だけ。
入場したらもうそういうくだらない葛藤は忘れてもらう。
そういう仕組み。
そして経験(エクスペリエンス)の印象を、長つづきさせるための記念品を買ってもらう。
そこにしか売っていないという記念品を。