アダムスミスは、なぜサービスを無視したのか?
アダム・スミスはサービスを、「すぐに消え去ってしまう価値」として、あまり重要な経済的価値とは考えなかった。
たとえばコーヒーショップでコーヒーを飲めば、そのサービスは飲んだ瞬間に終わる。
散髪屋で髪を切っても、しばらくしたらまた髪は伸びるから、散髪するという「価値」はすぐになくなってしまう。
だから「価値がない」とアダム・スミスは考えた。
というのもおそらく当時はまだ、物の生産力が今みたいに溢れるほどではなく、世界の工場とよばれた最先進国であったイギリスですら、かなりの貧民がいたからであろう。
またローマ・カトリック教会の権力から西欧各国が精神的に独立し、形而上学(けいじじょうがく=神など抽象的な考えを論拠とした考え)の価値観を、新しく勃興した科学で置き換えていく時代であったからであろう。
当時の科学というのは「目に見えるもの」「手で触れるもの」だけで考えていくという唯物論が主流であったから、「目に見えない」「手で触れられない」というサービスは軽視され、目に見えて手でも触れる商品だけで経済学が構成されたと言うことらしい。
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物よりサービスが求められる時代
だがイギリスに産業革命が起こった時代より二百年の時が過ぎ、生産力のみならず交通や運搬技術も格段に発達した。
電信技術の発達により世界中と通信がいつでも可能になり、世界中の資源と世界中の労働力が結びつくようになった。
その結果先進国のみならず中進国でもモノが溢れ、経済においては発展途上であるはずの中国大陸においてさえ生産力過剰に陥るありさまとなった。
その結果、有形である「農産物・鉱物」や「工業製品」は消費されずに余り、人々はそれには大した金を出さなくなった。
かわりに「自分自身でやるのは面倒だから他人にやってもらいたい仕事」「自分でやるとうまくできないから誰か上手い人にやってもらいたい仕事」をお金を出して他人にやってもらうようになった。
これがつまり「サービス」と呼ばれる経済価値である。
テキストによるとサービスというのは、「既知の顧客それぞれの要求にカスタマイズされた無形の経済価値」だという。
この定義に従えばサービスとは、「無形(目に見えず、手でも触れられない)」で「顧客それぞれの要求にカスタマイズされた」経済的価値ということになる。
つまりサービスには元々、顧客に合わせて調整するカスタマイズは必須だったのだ。