どれが正しい?コーヒーの値段
モノの値段は、状態によって異なる。
従来の経済学ではそれを
- 「コモディティ」
- 「商品」
- 「サービス」
たとえば市場で取り引きされるコーヒー豆価格は一杯当たりに換算すると、1〜2セント(2〜3円)に過ぎない。
これが「コモディティとしての価格」である。
それがパックに詰められたり、焙煎されて粉にひかれてスーパーの店頭に並ぶと、一杯当たり5〜25セント(10〜30円)くらいになり、そしてさらにコーヒーショップで提供される時には、一杯当たり0.5〜1ドル(100〜300円)くらいになる。
スーパーや小売店の店頭に並んだ状態が「商品」であり、その価格が「商品としての価格」である。
そしてコーヒーショップでサーブされる状態の価格が「サービスとしての価格」になる。
そう言う風に一口にコーヒーの価格といっても、実は三種類の価格があるというのが従来の経済学の認識だった。
だがしかしミシュランの五つ星のホテルや三ツ星レストランで飲むコーヒーは、一杯2〜5ドル(500〜1500円)以上もの値段になる。
これはコーヒーショップでの一杯よりはるかに高い値段である。
これは果たして「サービスとしての価値」なのだろうか?いやそうではない。
決してそうではない。
ここに新しい価値「エクスペリエンス・バリュー(経験価値)」というものがあるのではないか?というのが新しい視点である。
市場で取り引きされている状態のコーヒー豆は、単なる「材料」である。
産地がどこであるかによって取引価格は変わるが、しかし標準以上の品質のコーヒー豆であればそれでよい。
こういうモノを「コモディティ」と呼ぶ。
そしてそのコーヒー豆を小分けしてパッケージングし、スーパーや小売店の店頭に並べれば、それは「商品」となる。
これを式で表すと
コモディティ、商品、サービス
自然から抽出した材料に、人間が「加工」と呼ばれる作業を行うことによって「商品(財)」が生まれる。
この加工のことを従来の経済学では「労働」と呼んできた。
もちろん労働によって元の材料より価格が上がれば、「付加価値がついた」と言うことであり、逆に価値が下がる場合には「破壊した」と言うことになるが、しかし商品から見たコモディティとは単なる材料にしか過ぎない。
つまり
だがしかしサービスから見ると、商品もサービスのための材料でしかない。
つまりサービス>商品ということである。
というのも商品というのはあくまでも、「自分で消費する準備が必要な状態」の存在なのである。
たとえばコーヒーを飲むにはパックを開け、お湯を沸かし、コーヒーカップや砂糖やクリームを準備しなければならない。
コーヒーを楽しむための場所の用意や、コーヒーを飲んだ後のヤカンやカップの洗浄などの後始末だって自分でやらねばならない。
物質的な商品(財)が乏しい時代には、これらの作業は自分で行うのが当たり前であった。
王侯貴族や領主、地主や豪農などといった者のみが、これらの作業を雇っている部下や使用人にやらせることができた。
これらの作業を金を取って行うのがつまり、「サービス」と呼ばれる価値であり、つまり
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